ファン心理

今日、ばったり会った先輩が『不適切にもほどがある!』のインティマシーコーディネーターの描き方に憤慨していて、立ち話で喋り続けた。

私もあの描き方はないなと思ったのだが、もともと宮藤官九郎ファンであるので、つい心の中で庇いながら観てしまった。話していて思ったのだが、私はクドカン作品を「今回は合わなかったな」とかはよくても、根本的なこと、特に倫理的なことで「つまらない」と思いたくないのだ。だってずっと、思わぬ方向から笑わせてくれて、驚かせてくれて、グッとこさせてくれて、考えさせてくれた人だから。

だから「この先の展開で私を納得させてくれるはずだ」とずっと期待している。錦戸亮が出てきた回は泣いたし。でも正直泣いてちょっと安心したりしてた。それに本当は「いつか回収するとしても、今の時点で人をもやもやさせたり傷つけっぱなしのままでいること自体がもう私の好みじゃない」とも気付いている。困った。

正直なことを言えば、宮藤さんの舞台でも「え?」と引っかかることは出てきていた。でも目をつぶっていた。わからないとか合わないとか思いたくなかった。今もまだ思いたくない。私の感受性のほうを疑うことでなにかを免れたいのだ。

こういう気持ちを抱いているので、韓国映画『成功したオタク』をちょっと心待ちにしている。