チケット代が高い

演劇のチケット代が高騰し始めて久しいが、応援モードだった観客もぶち切れだして久しい。高騰する理由が理解できないわけではないのだが、「とはいえ来るでしょ?」って態度がむかつく。自動的に動員数が減るので、一席でも多くS席をつくろうとしながら素知らぬ顔をしている感じもむかつく。前々から募っていた演劇業界に対しての不信がここにきて爆発しているが、中の人たちはこれをどのくらい正面から受け止めているのか、その手ごたえを感じないのが気持ち悪い。この気持ち悪さ、覚えがあるなと思ったら、安倍〇三に似ている気がした。つまり観客(=国民)とは別のところを見ているということだろうか。
小劇場系は工夫をしたりしてかなりがんばってくれているのを感じるが、大手が、特に東宝がやばい。映画はヒットしてるんだからここがんばってくれよと思ったりする。ホリプロは学生料金などを出しているけど、やっているのは「みなし在庫処分セール」なのでホリプロらしさを感じる。作品うんぬんより、その態度に心が離れてしまう。

劇場版ハイキュー‼ ゴミ捨て場の決戦

『劇場版ハイキュー‼ ゴミ捨て場の決戦』を観た。なんとなく自分は、こういう類の映画を観に行かずに人生を終えると思っていた。映画館で観たことのあるアニメは、ジブリと最近のスラムダンクくらいで、なんならジブリも『トトロ』と『千と千尋の神隠し』くらい。紙で読む漫画と生で観る舞台が好きだから、なかなかそこまで手が回らない。

なんで観たくなったのかというと、原作が好きだったのは間違いないが、興行成績が良かったのと新宿で大々的に広告展開をしていたからだと思う。つられた。ずっと、「ゴミ捨て場の決戦の良さは知っているので、わざわざ映画で観なくてもいい」と思っていた。

なんとなく『スラムダンク』の経験から、音が良いほうがいいだろうなと思い、IMAXにした。体育館の音は好きだし。始まって5分くらいで涙が出てきて、そのままぐずぐずと泣きながら観ていた。なにに泣いたのか。きちんと演出に泣かされたんだと思う。

スポーツの試合を映画にするとこうなるよな。ひとつの試合に詰まった想い、ひとつのプレーに詰まった時間、それがここにいま結晶になって、だけどこの先も続いていく。クライマックスがあるっちゃあるが、ないっちゃない。そもそもクライマックスみたいな試合だしね。なんせ研磨が研磨だし。でもずっと涙が溢れてくるような映画だった。終わった後、トイレに行ったら号泣したあとみたいな顔になっていた。

ハイキューのことを考えると、作品の存在も含めたまるごとでなにかを表現している感じがする。試合そのものを表現しているのかもしれないし、人生を表現しているのかもしれないし、ただただ瞬間を描いているだけかもしれないと思う。でも、観ることができてよかった。

プロがつくるもの

記事が公開されていた。高嶋政伸さんが『大奥』で、我が子に性的暴行を続ける徳川家慶を演じ、その中での暴行シーンを撮影したときのことを書かれている。芝居とはなにかということを、改めて知ることができるような文章。プロの仕事としてこういうことを知れると、自分であれこれ考えずに観ることができる。お芝居がうまい人たちの演劇を安心して観られるのと同じ。信頼をベースに、ただただ物語に身を委ねることができる。監視するような見方は疲れる。

「芝居なのだから、仕事なのだから、なにをしてもいい」というようなことは、一般人である自分自身のことを考えても「そういうものだ」と思って見過ごしてきたことが多いと思う。仕事という「義務」の意識が挟まると思考停止するような感覚。おかしいと思わずにやってしまうこと。おかしいと思わずに見てしまうこと。後悔する。恥ずかしいと思う。申し訳ないと思う。だからこれからも勉強する。社会人のプロとしてそうしなければと思う。

放っておくとファンブログになってしまいそう

推しが好きすぎて、うっかりしていると推しのことしか書かなくなりそう。日に日に愛が高まり、もはや「同じ時代に生まれてくれてありがとう」の域に達している。そんなことになるとは思わなかった。

お芝居から入ったけど、ダンスがとても好きになっている。いまはいろんなダンスが見られる時代で、まずSnow Man9人だけでもダンスはそれぞれの魅力があるんだけど、渡辺しょっぴーのダンスはなんか全身で音楽という感じ、というと派手なダンスを思い浮かべられそうだけど、そうじゃなくて、かなりキッチリ踊っているほうだと思う。そのうえでひとつひとつの振りが、身体の芯からメロディと一緒に出てきてる感じ。さりげないんだけどちゃんとかっこよくて、メロディーとダンスの融合に密度がある、みたいな。そういう感じ。が好き。子供の頃からダンスをやってたそうなので、もはや染みついているものなのか、日々の努力をおこたっていないからこうなのか、全然わからないくらい自然なんですよ。でも怠ってたらあんなキレよく踊れないか。そういうダンスがとても好きです。私は梅棒の野田さんのダンスもとても好きで、野田さんとしょっぴーのダンスは比べなくてもわかるくらい違うものなんだけど、野田さんもやっぱキッチリ踊ったうえでもうひとつ野田さんの美学みたいなものが滲み出ていてかっこいい、というところがある。「きっちり」というのは基本をきちんとやるというのはもちろんで、「ゆきとどいている」というところも重要。感覚的なものなんだけど、そういう真摯さなのか紳士さなのか美しさなのかわからないけど、そこが光って見える。

まーでもほんと、それよりなにより、こんなかわいい生き物いるの!?って思う。なにからなにまでほんとにかわいい。

『先生さようなら』最終回

はあ……『先生さようなら』が終わった。毎週たのしみにしていた。なにをたのしみにしてたって、渡辺翔太くんの芝居です!少し前に書いた「推し」はこの人のことで、それもこのドラマの中での台詞の言い方がよくて好きになったようなものなので、毎週「今週はどんなお芝居が見られるのかな」とたのしみだった。こっちが思わないような台詞の言い方をするんだけど、それがとても心地いい意外性で、ザ少女漫画原作特有のちょっとな台詞もすんなりと受け取れた。こういうの初めてだなと思って、するするとファンになっていった。今週は「いいんだよね、それで」と「やだ」がとてもよかったです。

先生と生徒の恋愛もので、原作はドン引きするほどノーモラルだったので「どういうつもりで今この時代にこの作品を…?」とハラハラしていたのだけど、10話かけて遠回りを重ねてくれたおかげでまあまあ大丈夫だった。とはいえ最後まで「おい」と思う瞬間はちょいちょいあったけども。大人になってからの主人公、ヒロインの子とはきちんと向き合ってるんだけど、他の生徒には言われっぱなしすぎるのよ。まーでも主人公は、ゆみこに恋した高校時代から今日まで、ゆみこのことに気持ちを使いすぎて、まだ社会人としては幼いところがあった。だから冷静に考えられずにつっぱしっちゃう。それが最後の最後に大人になって、自分の足で歩きだせたっていう話でもあるのかなと思った。だから「先生さようなら」ってタイトルがいくつもの意味に受け取れてよかった。原作は全然そんな感じじゃないのだが。

丁寧にストーリーを重ねていくのに、いや重ねていくからなのかな、たまに帳尻合わせ的なシーンが出てきて、そこになると途端にしょっぴーの芝居が下手になってたの、個人的に好きでした。いつも器用なものを見すぎてるから、このくらいがいいなと思う。

最後にゆみこが出てくるシーン、2回見て2回とも泣いちゃったな。たくろうさんが一生懸命たくさん喋ってるのが切なかったし、最後の「愛してる」は、わたしは人生で一度も言ったことないくらい抵抗のある言葉なんだけど、これなら見れるなって思った。根本的にしょっぴーの台詞の喋り方が本当に好きなんだと思う。

なにかといい表情をするので大変よくリピートしました。今週は「出会えてよかったです」って言われたときの表情が最高によかった。なんかずっと萌え袖だったのもありがとう!

 

あとメモ。「俺と出会ってから大変なことばっかだったね」っていう台詞がとてもよかった。だけどこちとらゆみこがしあわせだったのを観てるから、そうじゃないって理解できる。我々の人生のなかのいろんなことも肯定できるような、とてもいい台詞だったなって思いました。

推しがいると、偏った感想がいっぱい出てきていいな。たのしい。

 

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息子をきもい男にしないために

子供がいる友達と喋っていたら、「息子をきもい男にしたくないけど、どうしたらいいのだろうか」という話になった。私に子供はいないので、教育の仕方という点では想像もつかない。だけど世の男性を見ていて思うのは、あまりにも知識がないせいでこんなきもいことを平気でできるんだろうということなので、「知識のアリナシは大きいのでは」という話をした。おっさんはもう、指摘したとて逆切れし、へりくつをこね、相手のせいにし、勉強をしようとしない。自民党を見ていても明らかだが、おっさんに変化を期待することは自分を傷つける行為で、この世界で生きていくのが嫌にしかならない。だから若いうちに人との接し方にまつわる知識をつけた男性の存在は、たくさんの人を助けると思う。ただ友達は「母親の自分が言うせいで聞かないこともあるので、こういうことを勉強してほしいというの、めちゃくちゃ難しい」と悩んでいた。たしかに。

ファン心理

今日、ばったり会った先輩が『不適切にもほどがある!』のインティマシーコーディネーターの描き方に憤慨していて、立ち話で喋り続けた。

私もあの描き方はないなと思ったのだが、もともと宮藤官九郎ファンであるので、つい心の中で庇いながら観てしまった。話していて思ったのだが、私はクドカン作品を「今回は合わなかったな」とかはよくても、根本的なこと、特に倫理的なことで「つまらない」と思いたくないのだ。だってずっと、思わぬ方向から笑わせてくれて、驚かせてくれて、グッとこさせてくれて、考えさせてくれた人だから。

だから「この先の展開で私を納得させてくれるはずだ」とずっと期待している。錦戸亮が出てきた回は泣いたし。でも正直泣いてちょっと安心したりしてた。それに本当は「いつか回収するとしても、今の時点で人をもやもやさせたり傷つけっぱなしのままでいること自体がもう私の好みじゃない」とも気付いている。困った。

正直なことを言えば、宮藤さんの舞台でも「え?」と引っかかることは出てきていた。でも目をつぶっていた。わからないとか合わないとか思いたくなかった。今もまだ思いたくない。私の感受性のほうを疑うことでなにかを免れたいのだ。

こういう気持ちを抱いているので、韓国映画『成功したオタク』をちょっと心待ちにしている。