放っておくとファンブログになってしまいそう

うっかりしていると渡辺しょっぴーのことしか書かなくなりそう。日に日に愛が高まり、もはや「同じ時代に生まれてくれてありがとう」の域に達している。そんなことになるとは思わなかった。

お芝居から入ったけど、ダンスがとても好きになっている。いまはいろんなダンスが見られる時代で、まずSnow Man9人だけでもダンスはそれぞれの魅力があるんだけど、渡辺しょっぴーのダンスはなんか全身で音楽という感じ、と書くと派手なダンスを思い浮かべられそうだけど、そうじゃなくて、かなりキッチリ踊っているほうだと思う。そのうえでひとつひとつの振りが、身体の芯からメロディと一緒に出てきてる感じ。さりげないんだけどちゃんとかっこよくて、メロディーとダンスの融合に密度がある、みたいな。そういう感じ。が好き。子供の頃からダンスをやってたそうなので、もはや染みついているものなのか、日々の努力をおこたっていなくてこうなのか、全然わからないくらい自然なんです。でも怠ってたらあんなキレよく踊れないか。そういうダンスがとても好きです。私は梅棒の野田さんのダンスもとても好きで、野田さんとしょっぴーのダンスはかなり違うものなんだけど、野田さんもやっぱキッチリ踊ったうえで、もうひとつ野田さんの美学みたいなものが滲み出ていてかっこいい。「きっちり」というのは基本をきちんとやるというのはもちろんで、「ゆきとどいている」というところも重要。感覚的なものなんだけど、そういう真摯さなのか紳士さなのか美しさなのかわからないけど、そこが光って見える。

まーでもほんと、それよりなにより、こんなかわいい生き物いるの!?って思う。なにからなにまで。

『先生さようなら』最終回

はあ……『先生さようなら』が終わった。毎週たのしみにしていた。なにをたのしみにしてたって、渡辺翔太くんの芝居です!少し前に書いた「推し」はこの人のことで、それもこのドラマの中での台詞の言い方がよくて好きになったようなものなので、毎週「今週はどんなお芝居が見られるのかな」とたのしみだった。こっちが思わないような台詞の言い方をするんだけど、それがとても心地いい意外性で、ザ少女漫画原作特有のちょっとな台詞もすんなりと受け取れた。こういうの初めてだなと思って、するするとファンになっていった。今週は「いいんだよね、それで」と「やだ」がとてもよかったです。

先生と生徒の恋愛もので、原作はドン引きするほどノーモラルだったので「どういうつもりで今この時代にこの作品を…?」とハラハラしていたのだけど、10話かけて遠回りを重ねてくれたおかげでまあまあ大丈夫だった。とはいえ最後まで「おい」と思う瞬間はちょいちょいあったけども。大人になってからの主人公、ヒロインの子とはきちんと向き合ってるんだけど、他の生徒には言われっぱなしすぎるのよ。まーでも主人公は、ゆみこに恋した高校時代から今日まで、ゆみこのことに気持ちを使いすぎて、まだ社会人としては幼いところがあった。だから冷静に考えられずにつっぱしっちゃう。それが最後の最後に大人になって、自分の足で歩きだせたっていう話でもあるのかなと思った。だから「先生さようなら」ってタイトルがいくつもの意味に受け取れてよかった。原作は全然そんな感じじゃないのだが。

丁寧にストーリーを重ねていくのに、いや重ねていくからなのかな、たまに帳尻合わせ的なシーンが出てきて、そこになると途端にしょっぴーの芝居が下手になってたの、個人的に好きでした。いつも器用なものを見すぎてるから、このくらいがいいなと思う。

最後にゆみこが出てくるシーン、2回見て2回とも泣いちゃったな。たくろうさんが一生懸命たくさん喋ってるのが切なかったし、最後の「愛してる」は、わたしは人生で一度も言ったことないくらい抵抗のある言葉なんだけど、これなら見れるなって思った。根本的にしょっぴーの台詞の喋り方が本当に好きなんだと思う。

なにかといい表情をするので大変よくリピートしました。今週は「出会えてよかったです」って言われたときの表情が最高によかった。なんかずっと萌え袖だったのもありがとう!

 

あとメモ。「俺と出会ってから大変なことばっかだったね」っていう台詞がとてもよかった。だけどこちとらゆみこがしあわせだったのを観てるから、そうじゃないって理解できる。我々の人生のなかのいろんなことも肯定できるような、とてもいい台詞だったなって思いました。

推しがいると、偏った感想がいっぱい出てきていいな。たのしい。

 

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息子をきもい男にしないために

子供がいる友達と喋っていたら、「息子をきもい男にしたくないけど、どうしたらいいのだろうか」という話になった。私に子供はいないので、教育の仕方という点では想像もつかない。だけど世の男性を見ていて思うのは、あまりにも知識がないせいでこんなきもいことを平気でできるんだろうということなので、「知識のアリナシは大きいのでは」という話をした。おっさんはもう、指摘したとて逆切れし、へりくつをこね、相手のせいにし、勉強をしようとしない。自民党を見ていても明らかだが、おっさんに変化を期待することは自分を傷つける行為で、この世界で生きていくのが嫌にしかならない。だから若いうちに人との接し方にまつわる知識をつけた男性の存在は、たくさんの人を助けると思う。ただ友達は「母親の自分が言うせいで聞かないこともあるので、こういうことを勉強してほしいというの、めちゃくちゃ難しい」と悩んでいた。たしかに。

ファン心理

今日、ばったり会った先輩が『不適切にもほどがある!』のインティマシーコーディネーターの描き方に憤慨していて、立ち話で喋り続けた。

私もあの描き方はないなと思ったのだが、もともと宮藤官九郎ファンであるので、つい心の中で庇いながら観てしまった。話していて思ったのだが、私はクドカン作品を「今回は合わなかったな」とかはよくても、根本的なこと、特に倫理的なことで「つまらない」と思いたくないのだ。だってずっと、思わぬ方向から笑わせてくれて、驚かせてくれて、グッとこさせてくれて、考えさせてくれた人だから。

だから「この先の展開で私を納得させてくれるはずだ」とずっと期待している。錦戸亮が出てきた回は泣いたし。でも正直泣いてちょっと安心したりしてた。それに本当は「いつか回収するとしても、今の時点で人をもやもやさせたり傷つけっぱなしのままでいること自体がもう私の好みじゃない」とも気付いている。困った。

正直なことを言えば、宮藤さんの舞台でも「え?」と引っかかることは出てきていた。でも目をつぶっていた。わからないとか合わないとか思いたくなかった。今もまだ思いたくない。私の感受性のほうを疑うことでなにかを免れたいのだ。

こういう気持ちを抱いているので、韓国映画『成功したオタク』をちょっと心待ちにしている。

推しができた

昨今の「推し」ブームにはいろいろと思うことがあるが、突然推しができてしまった。テレビを見ていてストンと落ちた。推される側としてのベテラン事務所に所属しているので、とても推しやすい。これまで友人たちから散々聞いてきた「むやみな搾取」はないし、もともと人気があるので供給過多で受け取りやすい。正直「顔がいい」と言いたいが、今を生きる者として、そんな言い方していいのかと足が止まる。でも美容をがんばったり身体を鍛えたりしていることを自ら発信しているので、外見を褒めてもいいのだろうなとも思っている。なにをどう褒めたらいいのだ。きもくならない褒め方が見つからない。慣れない。推しのことを表現することに慣れない!日常に侵食しないようにしたいが、絶賛、暇さえあればYouTubeを観ているので完全に浸食されている。

叶わなかったこと

割と能動的に生きているので、やると決めたことはやってきたほうだと思うけど、それでも「叶わなかったこと」がある。それをどう捉えるかは人によるが、私はまあまあ自然なことであると思っている。そしてそういうものは星になると思うようになった。ここまで生きてくると、「なにか叶えたいことがあること」自体がエネルギーに満ち溢れていて、今からその状態になることはできないと感じる。そういうものがあって、その想いの先にいくことなく途切れたものは、想いの真空パックのようで、とても美しいように感じる。時々見上げる星のようだと思う。

陰謀論信者について思うこと

陰謀論信者が問題になっていることはなんとなく知っていたが、先日の地震について、仕事でお世話になっている人が「人工地震の可能性がある」と言いだして絶句した。

その人は普段から、新聞はもちろんニュースも見ておらず、しかし「知らない」と言うこともできない。なので例えば政治の話や選挙の話、ハラスメントの話など、ある程度知識が必要な話題になると、黙ってしまい機嫌を悪くしたりする。

人工地震だって得意げな顔をして言っていた。陰謀論ってベースにコンプレックスがあって広がってたりするのかな。